筑波大学 個別学力検査等試験問題【前期日程】(日本史B)
年度 1997年度(平成9年度) 設問番号 第4問
テーマ 明治初年代の政治・文化の変容/近代
次の文章は,御雇い外国人ベルツが明治10年1月1日に東京で記した日記である。これを読んで,明治初年代の生活・文化の変容について,下線部(1)〜(3)を具体的に説明しながら論述せよ。
新年は日本で最大の祭日である。全市街がこれを証明している。家々の前にはタケとマツが立ち,ちょうど聖霊降臨祭の季節のドイツの町のようだ。以前にはこの風習は普通であったそうだ。これらの植物の緑は,君主一当時は将軍一が新しい年を迎えてこの植物のように,いつまでも若々しくて,元気一杯であるようにとの意味であるとか。しかしながら現在では,(1)元日が「暦の上で変って」しまったし,(2)国民自身は政府が,かってはかれらにとって神聖であったいっさいのものを,遠慮容赦もなく取扱うことを知っているので,自発的に身をおとして平民になった以前の君主への崇敬の念は失われてしまった。しかし単に惰性で,この伝統の美風を守り続けるものも,まだ多い。
(3)今日の機会に,西洋の風習の誤った模倣ぶり,しかも醜悪(グロテスク)なまでの模倣ぶりが,いつの日よりもはっきりと暴露された。日本では西洋人の間で−英人の間ですら−礼式があまり厳格に守られておらず,ことにシルクハットにいたってはいまだかつてコーカサス人種の頭にはほとんど見られなかったような有様であるにもかかわらず,日本政府は,燕尾服とシルクハットを新年祝賀の公式礼装に制定することを適当だと考えたのである。かくて,喜劇的な点では全く奇想天外ともいうべき姿のものが,首都の街路をうろつくことになった。気の毒な日本人よ,君たちは言語道断にぶざまな燕尾服とぞんざいなズボンの中へ無理やりに押しこめられているのだ!しかも頭には,たいていは決して似合うことのないシルクハットときている。滅法に白い手袋をはめた手は,まるで服に触れるのが恐ろしいかのように,だらりと下げたままである。それも大人だけではなく,十歳から十二歳の坊やまてが,この道化(グロテスク)の犠牲になっている。この街頭風景と謁見控室の一群を親しく目撃したものでない限りは,その情景を想像することはできない。しかもこれらの人々は自国の式服姿であれば実によく似合い,それどころか時としては,威厳があって気高くすら見えるのだ。
(トク・ベルツ編・菅沼竜太郎訳『ベルツの日記』,岩波文庫)