60年安保闘争は日米安全保障条約改定を阻止するために展開された闘争です。
岸内閣による改定交渉の進展にともない,
1959年に社会党を中心として安保改定阻止国民会議が結成され,
全学連を中心とする学生の反対運動も活発だったのですが,
運動が広がりをみせたのは60年5月岸内閣が条約批准を強行採決してからのことで,
強行採決という政治スタイルへの反発から自民党の一部も巻き込む形で運動が広がりを見せていきます。
つまり,
安保闘争は日本とアメリカとの軍事的提携関係の強化に対する反対運動から,
強行採決というスタイルをとる岸内閣への反対運動・民主主義擁護を掲げた運動へと性格が変化するなかで,
国民的規模の反岸内閣運動として高まりを見せていきます。
そうした性格の変化もあり,
新安保条約が自然成立した後は,闘争は退潮に向かっていきます。