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植民地にならなかった背景

メールでの質問への応答です(2003.02.22)。
> つかはらさんの「日本史のお話」を読んだのですがイマイチ日本が植民地にならな
> かった理由がわかりません、簡単に教えてください。お願いします。

とりあえず指摘できるのは,次の通り。
(1)日本の開国が,中国とは異なり,戦争を伴わない“交渉条約”によって実現していること。
それゆえ,条約の内容については,日本側の主張を確保することが(中国の場合に比べ)比較的容易であった。

(2)欧米諸国との交渉にあたった江戸幕府首脳の努力。
アヘン戦争という経験から幕府首脳は多くのことを学んでいます。
その結果,
安政の五か国条約においては,
自由貿易は居留地内にのみ限定されて欧米人の内地通商権が認められなかったし,
神奈川開港の主導権を幕府が確保することも可能となっています(実際には寒村の横浜を開港し,さらに居留地を幕府が迅速に建設して,開港場設定において欧米諸国に主導権を握らせなかった)。
もちろん,
最恵国待遇や領事裁判権,関税自主権にまでは配慮が及ばなかったようですが,
それは外交・貿易における欧米流の慣行に対する知識のなさゆえのことです。

(3)江戸幕府,そして明治新政府が条約を遵守する姿勢を堅持し続けたこと。
江戸幕府は,
国内の攘夷勢力に押されて紆余曲折していますが,
結局のところ,条約遵守の姿勢を貫き続けています。
そして,
明治新政府は条約遵守・開国和親の姿勢を表明しています。

(4)欧米諸国の外交姿勢。
欧米諸国のなかには,
アヘン戦争以降の中国情勢から,
軍事を背景とする内政干渉の突出が相手国側の内乱を招いて自由な貿易を阻害するに至ってしまうことの認識が存在しており,
内政干渉を極力避けるという姿勢を堅持していました。
もちろん,
攘夷勢力に対する軍事的な示威行為として薩英戦争・下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が敢行されていますが,
その主導者であるオールコックにしても“条約関係が破壊されない以上は,政府の形態,権力の分配,または国家の内政に干渉しない”という態度で臨んでいます。

(5)日本国内での攘夷勢力の弱さ。
外国人殺傷事件や外国公使館焼打ちなどが頻発していますし,
下関海峡では長州藩による外国船砲撃も行われています。
しかし,
幕府=日本政府そのものが攘夷を掲げて欧米諸国と積極的に対峙するという状況を攘夷勢力は作り出すことができませんでしたし,
また,
内乱を引き起こして一定地域に独立した地域権力を作り出す(中国の太平天国の乱のような)ということもできませんでした。
基本的に攘夷勢力の政治的力量の弱さですが,
開国・貿易開始が(軍事力を背景としつつも)平和的な交渉条約によって実現し,
自由貿易は居留地内にのみ限定されて欧米人の通商権が認められなかったことが,
攘夷運動の広がりを抑制していたと言えます。
[2003.02.22]