[テーマ/目次] 

原爆の投下地点の決定過程

メールでの質問への応答です(2002.01.21)。
> 原子爆弾の投下を受けることになった、広島・長崎という投下地点の決定に至
> る経過を教えて下さい。

投下予定の都市については,
原爆製造に関与した科学者と軍人による秘密会議のもとで協議されていますが,
5月段階の会議では,次の5つが候補にあがっていました。
(1)京都−AA級目標
(2)広島−AA級目標
(3)横浜−A級目標
(4)小倉−A級目標
(5)新潟−B級目標
それぞれが投下目標として望ましいとされた理由は次の通りです。
(1)京都
 人口100万を有する都市工業地域である。
 日本のかつての首都であり,
 他の地域が破壊されていくにつれて,
 現在では多くの人びとや産業がそこへ移転しつつある。
 心理的観点から言えば,
 京都は日本にとって知的中心地であり,
 そこの住民は,この特殊兵器(原爆)の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きい。
(2)広島
 陸軍の重要補給基地であり,
 また都市工業地域の中心に位置する物資積出港である。
 そして,レーダーの格好の目標であり,
 広い範囲にわたって損害を与えることのできる程度の広さの都市である。
 隣接して丘陵地があり,
 それが爆風被害をかなり大きくするだろう。
(3)横浜
 これまでのところ,
 まだ爆撃が行われていない重要都市工業地域である。
 工業活動としては,航空機・工作機械・電気設備の製造が行われ,ドックや精油所がある。
 東京の被害が増すにつれて,新たな工業が横浜に移転した。
 そこは,
 最重要な目標地域が広い水域によって分離され,
 対空火器が日本で最も密集しているという不利な点がある。
 ここは検討している他の目標からかなり離れているので,
 他の目標が悪天候の場合の代わりの目標として使用できる。
(4)小倉
 日本最大の造兵廠の一つがあり,
 都市産業地域に囲まれている。
 造兵廠の大きさは縦1,250メートル,横610メートルであり,
 この大きさゆえに,
 爆弾が正しく投下されると,
 爆心地では高圧によって堅固な建造物を破壊させるのに十分な効果をあげることができるし,
 また同時に,
 ずっと離れた比較的にぜい弱な建物に対してもかなり大きい爆風被害を与えることができる。
(5)新潟
 本州西北海岸にある物資積出港である。
 他の港湾が破壊されるにつれて,
 ここの重要性が増しつつある。
 ここには工作機械産業があり,
 工場疎開の潜在的な受け皿である。
 精油所や倉庫もある。

そして,
5月段階の検討会議の結果,
8月初めに投下予定の2発の原爆に対して,
投下目標都市(目標とそれぞれの予備目標)は(1)京都,(2)広島,(3)小倉,(4)新潟,に決定されます。
なかでも京都がもっとも理想的な投下目標と考えられていたようで,
市街地の広さ,人口,三方を山に囲まれた盆地であるという地形だけでなく,
そして知識人が多く,
原爆のなんたるかを認識した彼らが政府に早期降伏を働きかけがもてるという点から重視されていました。
ところが,
京都を第1目標とすることについては,
当時の陸軍長官スチムソン(軍人ではなく文官)が反対し,
5月末から7月にかけて論争が続けられ,
結果的に,スチムソン陸軍長官の最終的判断で京都の除外が決定されます。
では,
なぜスチムソンが京都の除外を主張したかというと,
 京都という知的中心地への原爆投下は,
 戦後にいて日本とアメリカとの和解が難しくなり,
 ソ連に接近させる可能性がある
というものでした。
つまりスチムソン陸軍長官は,
戦後の国際政治を見通した立場から京都への原爆投下がアメリカに対する日本人の反発を強める可能性を警戒したのです。
こうして7月下旬,
投下目標から京都を除くことが決定しますが,
2発の原爆を投下する予定になっていましたから,
予備目標をおのおの1つ確保しておくためにもう一つの目標を選ぶ必要が生じ,
長崎が投下目標予定都市に追加され,
こうして(1)広島,(2)小倉,(3)新潟,(4)長崎の4つが候補とされ,
投下予定の8月上旬を迎えます。
そして,
まず6日,第1目標の広島に投下。
次いで9日,もともとは小倉を予定していたのが,
天候条件から小倉への投下は中止され,
予備目標の長崎に投下されます。
[2002.01.21]
(付記)吉田守男『京都に原爆を投下せよ』(角川書店,1995)を参照。
なお,これは朝日文庫に『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』と改題されて収録されています。