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明治憲法のもとで軍の文官統制の可能性

メールでの質問への応答です(2001.09.17)。

> 明治憲法にはこじつけでもシビリアン・コントロールととれるような条文
> はなかったのですか??

憲法解釈としては,実は,統帥権の独立は無理があるのです。
なにしろ,第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」としかなく,統帥部門が政府(内閣)から独立しているなどという含みを読み取ることは不可能であり,そうなれば,天皇がもつ他の統治権と同様,統帥権も国務大臣の輔弼によってのみ行使されるということになるはずなのです。
実際,明治憲法制定から日清戦争頃までは統帥権の独立を説く学説はないといわれるし,また日清戦争に際しては伊藤博文首相も戦争指導(統帥)に参与していました。ところが,日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。

では,なぜ憲法解釈としては統帥権の独立を導きだすのに無理があるのに,統帥権の独立が説かれ,それが疑問の余地のないものとされていたかというと,憲法以前からの慣習によるものです。
まず1878年,太政官の一部であった陸軍省から参謀本部が独立して天皇に直属する組織とされ,さらに1885年の内閣制度創設に際して定められた内閣職権で「事ノ軍機ニ係リ参謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ内閣総理大臣ニ報告スベシ」とされ,軍機に関わることがらは内閣からではなく参謀本部長が独自に天皇へ上奏してよく,内閣へは事後報告でよい,と規定されています。このように,憲法制定以前から統帥権の独立が慣習として存在していたから,憲法に明記されていないにもかかわらず,統帥権の独立が当然 のこととして説かれていたのです。

なお,憲法発布とともに内閣職権を変更してシビリアンコントロールを可能にするような規定を追加することも可能だったわけですが,1889年の内閣官制では「事ノ軍機ニ係リ上奏スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スベシ」と変更されたにとどまります。つまり,“参謀本部長ヨリ直ニ”が削除されたにとどまっていますが,これは,内閣職権では参謀本部長にしか認められていなかった帷幄上奏(軍機に関わる上奏)権を,実際には陸海軍大臣も実行していたことを追認するためのものとされます。ある意味では,参謀本部や海軍軍令部という統帥(軍令)機関の動きを陸海軍省という行政(軍政)機関が(帷幄上奏という行為により)制御することは制度的に可能だったとも言えるかもしれませんが,陸海軍−統帥機関か行政機関かの区別を問わず−全体の動向を内閣が制御することは制度的には無理ですし,陸海軍大臣に文官が就任しない限り,シビリアンコントロールは利かないということになります。
ちなみに,1890年に海軍,翌91年に陸軍がそれぞれ大臣の武官制を廃止していましたから(1900年に軍部大臣現役武官制が規定されるまで),その約10年間については陸海軍大臣に文官が就任し,シビリアンコントロールが働くという可能性がなかったわけではありませんが,実際には軍人以外が就任することはありませんでした−隈板内閣では大山巖陸相・西郷従道海相が明治天皇の勅命により前内閣から留任しています−。
[2001.09.17]