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 Nifty-Serve FKYOIKUS(教育実践フォーラム専門館)の社会科会議室 に 1996年〜1997年にかけて “国民国家”や“歴史教育”について書き込んだ発言をピックアップしました。

 なんだかもっともらしいことを書いていますが,このころはネットでの議論を通じていろいろと勉強させてもらいました。(1999/07/16)


#01779/01779 GED01324  つかはら         RE^6:歴史教育の改革!?
#( 6)   96/09/08 14:09  01775へのコメント


------>  #1775  遊さん

どうも(^。^)。お互いに仕事もありますし、ぼちぼちって感じでいきましょう。そ
れに この会議室は“授業でどう教えるか”がテーマの中心なので、この議論(そ
れも対象は日本史だけ)が突出するのもよくないですし(^^;。

さてさて...

やれ 理想的だ、やれ 理念的だと 言い合ってみても意味がないですね。私にしても
日本人であることにこだわっている人間なんですけどね(^^;.....

> >  『日本といわれる地域に住む人々をひとまとまりの集団としてのみ解釈でき
> > るのだろうかと疑問に思っています。』・・・・・・・・・・・・・・・・・
> > ・・・・・・・・・・・ような文言が、日本の歴史教育の論議に、すっと出て
> > くる感覚のほうが、私には理解しがたいんですけど。

遊さんは 原始〜近世の歴史については 何もご存じないのでしょうか?

現在日本といわれる地域は 南は沖縄から北は北海道まで含まれています(沖縄よ
りも南鳥島の方が南かもしれないが(^^;)。沖縄から北海道までを含む地域に住む
人びとが 原始社会から現在まで 常にひとまとまりの集団として行動していたなど
という 想定は あまりにズサンです。単一国家(国家が全く存在しなかった段階は
ともかく)・単一文化 の 想定は ズサンで あまりに無理があります。たとえば 
本州・九州・四国島が室町時代と呼ばれていた段階で考えれば、沖縄・奄美を支配
領域とする琉球王国が存在しますし、いまの北海道は室町幕府の支配領域だったわ
けではありません。

確かに 九州南部から東北中部くらいの地域(現在日本といわれる地域の一部にす
ぎない)については、早い段階からひとつの政治的統合体のもとにあったとは言え
ます。その意味では その地域に住む人びとを あるレベルにおいて 均質な存在と
して考えることが可能です。しかしそれにしても、地域によって統合のされ方・度
合が違います(関東や東北で独立志向が強まるときもある)。その地域性を無視す
ることはできないでしょう(もっとも 私がそういう授業をやっているなどという
ことは言いません(^^;。言うのは易いが....ってところです)。

ですから、別に私が「国際感覚の持主」だから 「日本といわれる地域に住む人々
をひとまとまりの集団としてのみ解釈できるのだろうかと疑問に思っています」と
書いたわけではありません。日本史を教えるために勉強していたら、そういう感覚
になってしまったというだけの話です。

> >  『「在日外国人」と「我々」を区別して用いています』理由は、数百年、或は千
> > 年二千年の歴史を共有した者とそうでない人々とを同じには扱えない、と言うこと
> > です。

遊さんが使っている「我々」は “日本人”なのでしょう。感覚として言うのであ
れば、私にしても日本人です。しかし、上述したような理由(つまり歴史的にみ
て)から 現在日本といわれる地域に住んでいた人々を全て日本人と呼んで済ませ
てしまうことには抵抗を感じます。

つまり、現在日本といわれる地域が 歴史的にみて いつの段階にひとつの統合体に
まとまったかと言えば、たかだか ここ120年ほどの話です。それまではまがり
なりにも琉球王国は日本国とは(形式的なものであった側面があるにせよ)独立し
た国家として存在しています(沖縄の人びとは「我々」には含まれないとおっしゃ
るのでしたら 話は別かもしれませんが)。
そして 日本に永住している在日韓国・朝鮮人は といえば 80数年の歴史ですか。
もちろん 在日韓国・朝鮮人が その80数年間の歴史のすべてを、日本人と共有し
ていたかといえば 微妙でしょうが(それは沖縄の人びとも同じだが)。

ところで なぜ私が日本国籍をもたない在日外国人の存在をたえず気にかける理由
ですが、それは 彼・彼女らも日本社会のなかで生活を共有しているからですし、
さらに 生徒に 日本国に永住している在日外国人(韓国籍・朝鮮籍・中国籍など)
がいるからです。

 ところで話はそれますが、「聖徳太子は日本人ではない」という議論をご存知で
 すか?別に朝鮮半島からの渡来人だなどという議論ではありません。「日本」と
 いう国号が成立したのが7世紀後半だ というのが 種明かしなんです。
 結局のところ、「日本史」と呼ばれている分野は、「日本国の歴史」なのか、
 「現在日本といわれる地域に住んでいた人びとの歴史」なのか......ごっちゃな
 んですよね。

> > つかはらさんにとって日の丸は、実用的な道具にすぎない、ということ
> > ですね。

そうですけれども、もともと「日の丸」は 実用的な目的から使われ始めたのでは
ありませんでしたっけ?

> > 『また、日本語を母語としているからといって無条件に日本国民であるわけでもな
> >  し』には違いありませんが、1億2千万のうち、そのような人がどれほどいるの
> > う。

日本に定住している人びとのなかには(私の場合は在日外国人も含めて考えていま
す)、日本語を母語として育ったからといって 日本語が国語ではない人びともい
ますよ と 述べているだけの話なんです。そういう議論には 数字はあまり意味が
ないでしょう(永住資格をもつ在日韓国・朝鮮人のなかにはそういう世代がすでに
存在しているように思いますが)。

 (後略)

つかはら

#02432/02432 GED01324  つかはら         RE^6:自由主義史観じゃないような、に対
#( 6)   97/03/21 16:40  02408へのコメント

 (中略)

#2407
> > [私]が大切なのはいうまでもないのですが、[私]が分断され
> > 孤立した脆弱な[私]に陥らないためにも[公]の復権が大切であることを、
> > 子供たちに教えなければならないと思います。

これについては異論はありません。
ただ 個人的にひっかかっているのは、その“公”は既存の国家にのみ一元化され
てしまうものなのか という 疑問です。“公共性”は国家においてのみ実現される
ものなのですか。

#2403
> > 戦後の教育において、
> > [公]の意識が、[国家意識]が、危険視され、アレルギーの対象となり、排除
> > されてきた

少し話題がずれていると思われるかもしれませんが、平安時代中期の文化について
“藤原文化”ではなく“国風文化”(戦後に登場する言葉)という言葉をつかった
石母田正が 次のように述べています。
 国風という本来の意義が、国土とその上に生活している民族の生活と感情に文化
 が根差すということを本質的な要請としてもっているとすれば、そのような文化
 は、いわゆる国風文化を生みだした貴族階級の支配そのものをまずくつがえすこ
 とによってのみ創造できるものであった。
 (木村茂光『「国風文化」の時代』青木書店、p.19より再引)
木村著のなかでは、石母田正が このように国風文化を民族文化との関連で評価し
ようとした点に、1950年代後半以降に「国風文化」という概念が歴史学のなかで 
そして歴史教育のなかで採用されていった要因がひそんでいる、と述べられてい
ます。案外 ナショナル・アイデンティティに対する意識は 戦後教育のなかで強
化・育成されていったと言えるのかもしれない と 最近の私は考えています(小
熊英二『単一民族神話の起源−−<日本人> の自画像の系譜−−』新曜社によれ
ば、単一民族神話は 戦後になってから定着したものだと言いますし)。

ps
なお、“日本の伝統・文化”と言うとき、今の日本国の領域が いつの時代におい
ても 文化・生活において同質であったことを 無意識のうちに前提とし、異質性を
排除してしまっているのではないか という 疑念が 私には常にあります(国境の
不変性も前提にしてしまっているように思える)。

つかはら



#02830/02837 GED01324  つかはら         RE^2:国民を構成すること
#( 6)   97/04/16 21:40  02827へのコメント  コメント数:2

------>  #2827  まことさん

ナショナリズム という言葉は 本当によくわからない(^^;ことばですが、
とりあえず私は“均質な人間集団としての国民を構成すること(あるいは構成しよ
うとする動き)”と考えることにしています。そして 日本でのそれは 西欧ででき
あがりつつあった≪世界システム≫に対応・適応する形で起こったものと考えてい
ます。

ただ そのとき 人々の意識のなかで 私も彼・彼女も国民だ という意識が培われる
には なんらかの反復が不可欠じゃないかと思うわけです(宗教儀礼を共有するこ
とを反復するなかで その宗教集団に帰属する意識が培われる というように)。と
すると、学校教育(ならびに学校での行事)・軍隊、新聞(国語の使用)・ラジ
オなど、一定の儀礼を反復する場が不可欠だと思うんです。
そういう場が とりあえず整うのが 日本では 日清・日露戦争期(というか日露戦
後と言った方が正確かもしれませんが)だと 私は判断しています。

そして、均質な集団を構成する運動において “自決”と“排外”は不可分だし、
相互に排他的な人間集団として−−つまり諸国民として−−成立しようとすれば
もともと自然的な同質性があいないなところに境界を区切ろうとするわけですから
内部に“非国民”を含み込んでしまうと言えますし、だからこそ国民の“優越性”
が誇示される傾向があるのではないか−−裏返しとして 諸国民でない人々は 単な
る客体としてしか 意識されなくなる−−と考えています(もちろん 優越性を誇示
しない可能性がなかったかといえば そうもでもないだろうと思っているのですが)。

となると、#2791の
> > 鎌倉新仏教による「末法の辺土」観の克服とその
> > 浸透、蒙古襲来以降の神国思想の高まりと普及のなかで 同質化の過程が進んでい
> > くと言えるのかな、と考えています。
との発言と どう整合性がつくのか と言われそうですが(「同質化の過程」として
鎌倉末期から江戸前期に及ぶ時代を想定していますが)、正直言って よくわから
ないです(^^;。まことさんが「異人」という表現から 庶民にも同胞意識が共有さ
れていたのではないかと書かれていますが、確かに 江戸時代ぐらいになれば 「神
国」日本の住人 という意識は 漠然とあったようにも思うのですが....う〜ん わ
からないです(ま 長期にわたる宿題ってことにしましょう(^^;)。

ところで
#2828
> > 宗教の血縁・地縁を越える「普遍性」、この役割
> > の評価が問われていませんか。

との話なんですが、天理教のような いわば土俗宗教はともかくとして、世界宗教
になってしまうと 国民形成には役に立たないように思います。

また
#2828
> > 黒船以来あれほどの
> > 民族的結束を、短期間で実現できなかったのではないか

私自身、武士身分や豪農・豪商レベルの いわば知識層において 天保期には(早く
は寛政期か?) 自らが帰属する社会集団を越えた国家レベルの問題を意識的に考
えていこうとする動き(それが 同胞意識へとつながるのでしょう)が広がってい
たと 考えています。そして 幕末の尊王攘夷運動や世直しへの気運が“国民”意識
を広汎に作り上げていく契機となったとも判断しています。その幕末期の気運のな
かに まことさんが #2828 で指摘されているような 多様な「ナショナル」の可能
性が存在していたと思います。
しかし、あえて極論しますが、幕末期の動向を「あれほどの民族的結束」と形容す
るのは過大評価じゃないでしょうか?幕末期についての私の解釈については 詳し
くは #70以下の発言を参照していただきたいのですが(テーマ別ログにはまだ編集
していないので ライブラリの過去ログでしか参照できませんが(^^;)、加藤祐
三『黒船前後の世界』(ちくま文庫)などを読むと 幕末の対外的な緊張って どれ
ほどのものだったんだろうか と 非常に懐疑的になります(もちろん ロシアによ
る対馬占拠事件とかありますが)。幕府首脳は 冷静に そして巧妙に ペリーやハ
リスと交渉していますもの。
どちらかというと、幕末期の危機は 国内の社会秩序の方にあった と 私は解釈し
ています。つまり 危機が爆発することを回避するための変革として明治維新を考
える方が わかりやすいと思います(廃藩置県も 社会不安への積極的対応策として
の いわばリストラだと考えています)。

ただ 私としては “国民を構成する”バリエーションではなく “国民を構成する”
ことそのものを 考えることが必要ではないのかと思うんですが...

つかはら

#03547/03548 GED01324  つかはら         RE^2:慰安婦授業はモラルを壊す
#( 6)   97/07/26 19:51  03522へのコメント

------>  #3522  宇波さん

夏期講習中なもので、レスポンスが遅れてしまっていますm(..)m

さて、私のスタンスを

> > 価値基準を 明確にしない できない、
> > ひ弱な 現代日本の 大人の姿

と評価して下さいましたが、以前にまことさんに叱咤されたことを思い起こします
と、その指摘もあるいは当っているのかもしれませんね。

しかし、歴史教育で求められているのは、教師の抱いている 歴史上の人物への「
共感」を 生徒にすり込むことではありません。「共感へ導く技術」が問題なので
はなく、「共感」がなぜ歴史教育の主題になるのかが問題です。そして、歴史教育
から 教師の抱いている「共感」を 極力排除するといっても、それが“価値判断を
曖昧にすること”であったりはしません。

私は、歴史教育とは教師と生徒とが共に、歴史の全体像に接近しようとする作業で
あり、現在における“伝統”を判断・形成していく作業だと考えています。そして、
作業の中心はあくまでも生徒であり、彼らが自分でその作業を継続していくために
必要な条件−−フレーム・ワーク−の形成を補助していくのが教師の仕事です。

教師は 教材を選択・構成しながら 有効なフレーム・ワークを提示し、それを生徒
が使いこなせる(いわば“着くずせる”)よう 努力しなければなりません。そして、
さまざまな事実を教材として選択していく過程に、教師の価値判断が加わりますし
(それがなければ教材は生きてこない)、フレーム・ワークそのものが価値判断の
手段です。

 予備校での日本史授業にしても、過去の大学入試で出題された事項をダラダラと
 タレ流しして 暗記を要求する、というスタイルを取っているわけではありません。

こういう風に議論を進めていくと

> > 教材の選択・構成に 反日思想のバイアスがかかっているのはよくない。

という反応が返ってくるのかもしれません。

「反日」思想というレッテル貼りは いささか扇情的でインパクトの強い行為です。
しかし、“自分の抱いている「日本」イメージにそぐわないもの、あるいはその
「日本」イメージをゆさぶりかねない事実が提示されている”と指摘しているだけ
のことです。自分のイメージと異なると言った上で その立場・視点を自分の意識
のなかでクリアしているだけのことです。

私は“対象の全体像へと より迫り得るフレーム・ワークの提示 ”に関心を抱いて
います。授業で扱うことがらの軽重は すべてそこを基準に考えています。広がり
のあるテーマを主な対象としたいですね(論述問題への対策を考えようとすると 
そういうスタンスを取ってしまいます)。

さて、私は

 学校現場で学ぶ人びとの国籍は日本国籍だけとは限らず、そして日本社会で生活
 する人びとは日本国民だけとは限らない。また、日本国民が生活する場は日本社
 会だけとは限らない。

という判断から出発します。これは 現在だけではなく過去に対しても成り立つ判
断です(もちろん「国民」という言葉を使ってしまうと 厳密には近代以降しか該
当しませんが(^^;)。ですから、既成の国境の枠のなかだけで判断を停止してしま
うような歴史像を揺さぶることが、私の関心事のひとつです。

ところで
> > 自国の父祖を 告発するような 授業は 子弟の教育上マイナスである。
についてですが.....

もし歴史教育が単なる国民教育だとしても、これまでの国民のあり方について諸側
面にわたる情報を提示する必要があります。現在において方針・指針を考える際、
「よいところ(?)」だけを判断基準にするわけにはいかないでしょう。過去の諸
側面を肯定的に把握したところに現れる事態が 判断の際の前提となります。

また、個人のレベルで問題となる限りでのモラルを国家にまで援用するのが不適切
とすれば−−国民というレベルにおいては個人の顔が消去されてしまう−−、慰安
婦の連行であれ、残虐行為であれ、それらの事実とその背景にあるものを教材とし
て構成することは、父祖個人個人の行為を告発することではありません。

仮に「告発」という形式しかとれないのなら、そのときには、(かつてまことさん
が指摘していたように)彼らを自分とは無関係な存在へと追いやったうえで切り捨
ててしまうという反応が 生徒からかえってくるだけのことです。そこには“反省”
という作業(それは 懺悔ではない)すら、そこには生まれないでしょう。そして、
“反省”がなければ“伝統”も生まれないことでしょう。


つかはら@台風のため休講(^^;


#03678/03678 GED01324  つかはら         RE^4:慰安婦授業はモラルを壊す
#( 6)   97/08/21 16:33  03677へのコメント

------>  #3677  宇波さん

もし 同じ言語と習慣、共通の記憶を持つ人びとを「共同体」と呼ぶのなら、地域
も十分に共同体たりえるのではありませんか。
それに 地域にもさまざまな次元が存在します。国家の統治する領域も その地域の
1次元ですし、個人と世界との間には 多種多様な地域が重層的に重なりあってい
ます。

他方、近代に成立した国民という共同体は 強制と儀礼の繰り返しのなかで初めて
共同体たりえている存在ですね。「同じ言語」といっても 日本におけるスタンダ
ードな言語として“国語”が成立するのは明治後期のことですし、アイヌは「同じ
言語」を持っている(持っていた)とはいいがたいでしょう。また、同じ日本語表
記を用いている沖縄の人びとが、他の地域の人びとと「共通の記憶」を有している
のでしょうか(ここ20数年のことなら「共通」と言えるかもしれませんが)。
 なお、生来同じ言語を持っていなければ「共同体」を形成できないわけではない
 でしょう。

つまり、日本国民という共同体を立脚点とするにしても その内実は非常に曖昧模
糊としたものであって 均質性が維持・確保されてきたわけではありません(最低
限 憲法で規定される限りでの均質性はありますが)−これはすべてのレベルの共
同体に共通することでしょうが−。

ですから、ある均質さが確保されることによって実現されたことがら−確保されて
いく過程−と、それでも残る不均質さ(あるいは雑多さ)との 緊張関係において、
歴史を記述したいと、私は考えているわけです。


> > 共通の物語を元来持たない 他民族国家 アメリカでは、国家と国旗に
> > 忠誠を誓う儀式を 初等教育から 延々とやっておりますし

それは 近代日本とて同じことです(第2次世界大戦後は少々違いますが)。


> > 卓越した人物ではなく 地域住民・民衆が 歴史をつくるのだ という雰囲気。
> > 歴史のメインストリームの人物の評価を 再三「指導者賛美だけで良いのか」 
> > という捉え方でとること。
> > また その本流に 抑圧、隠蔽された 弱者を 強調することにより 
> > 国家という 強者との 対決史観を 暗示させるところ にそれを感じました。

歴史が共同体の記憶であるのなら、指導者の業績のみがクローズアップされる云わ
れはありません(この点、宇波さんの歴史記述の基準がよく理解できないところが
あります)。

また、「民衆」だけが歴史を作り上げてきたわけではありませんし、国家と「民
衆」との単なる二項対立の図式で歴史が説明できるわけではありません。そして、
抑圧・隠蔽された痕跡を特定の人間集団に代表させることができるわけでもありま
せん。「民衆」のなかに 両側面が共存しています(だからこそ国家が国家たりえ
ている)。


> > このフォーラムの 史実に精通した また 冷静な文章を書く方々が
> > 慰安婦授業を是とするのかが わかりません。

従軍慰安婦(日本軍慰安婦)制度は、日本軍の政策的決定にもとづいたものなので
すから、日中戦争の展開とその国民生活(国民のなかには朝鮮人も含まれる)への
影響・占領地域のありさまを垣間見ることのできる 1事例といえます。だから、従
軍慰安婦問題を授業で扱うことに異議はないのです。

> > 日本の中等教育の 近現代史においてだけ教えることを 許容しておきながら 
> > 他国の慰安婦状況との 相対化に 熱心なわけでない。

確かに他国における状況についての知識は ほとんどありません。それに、従軍慰
安婦問題は 単なる売春問題ではなく、日本軍の政策にもとづくものですから、私
自身、他国の状況と対比して「相対化」する必要を感じていません。
もちろん、他国の状況をも知っておくべきだとは思いますが、日本史担当だという
こともあり(^^;、日本が関係したことがらに関心が集中しています。

ps
> > また つかはらさんに 不正確なことは 云ってくれるなと
> > お叱りをうけそうなのは 重々承知で 失礼かもしれませんが、
> > 「地域住民の目からの歴史記述」という 姿勢に 左翼思想の 匂いを感じます。

左翼か否か と 問われれば、左翼だと答えます(支持する政党・党派はないが)。

しかし、左翼・右翼などというレッテル貼りに何の積極的な意味があるのでしょ
う(この辺については かつて関連する議論があったように記憶している)。
単なる排除の論理じゃないですか?

つかはら

#03666/03671 GED01324  つかはら         RE^3:慰安婦授業はモラルを壊す
#( 6)   97/08/20 13:18  03606へのコメント

------>  #3606  宇波さん

 (中略)

さて、
宇波さんは 私が #3547で
> >   もし歴史教育が単なる国民教育だとしても、
と書いたことにひっかかってくださったようですが、日本社会で生活するのが日本
国民だけではないことを基盤として“共同性”の確保を志向するなら、それは単な
る国民教育とはならないでしょう。

私は 地域住民という視角から歴史を記述したい と考えていますし、その際には、
ある特定の限られた地域のなかに閉じこもるのではなく 地球レベルのコミュニケ
ーションの広がりを前提とすることが不可欠だ、と考えています。最近、グローカ
リズムという言葉を知ったのですが(グローバルとローカルをまぜあわせた造語ら
しい)、そのことばがちょうどピッタリくるように思っています。

> > 自分たちの共同体が はぐくみ 伝えてきた 高い価値を 学ぶことにより
> > 共同体の維持、存続、繁栄をはかるという意義があります。

日本国を国民共同体として把握しようとする動きは近代になって出現したものです
し、国民としての共同性を近代以前に遡及させることはできません。また、国民と
いっても その境界領域はきわめて曖昧で、たえず変化してきました。

たとえば、明治後期に三宅雪嶺・志賀重昂や陸羯南らのいわゆるナショナリズム思
想が登場したころ、沖縄の人びとや「旧土人」と呼ばれ続けたアイヌの人びとは、
それ以外の地域の人びとと同じような国民としての共同性をはぐくんでいたのでし
ょうか。また、韓国併合後は 朝鮮半島に居住する人びとも国民ですよね。

そのような曖昧さを放ったらかしにして スタンダードな記憶で塗り潰したくはあ
りません。
 もちろん、特定の人間集団に日本社会の歴史を代表させ、置き換え、その人間集
 団の共同性をあたかも国民の共同性であるかのように記述することは、しばしば
 行われていることです。私なども、それに対する批判意識はあれど、なかなかそ
 れを克服することはできていませんが(^^;。
 
また、“伝統”はその時々の人間が生み出すものであり、単純に過去から未来へと
継承されていくものではありません。“伝統”は選び取られ、創り上げられるもの
です。さまざまに残されている痕跡を掘り起こすことから生まれてくるものです。
それら痕跡のなかには、スタンダードな記憶が形成されるなかで抑圧・隠蔽された
ものも存在します。
国民国家という「高い価値」が選びとられ 作り上げられたことも、それと同時に
その「高い価値」が形成されるなかで 隠蔽された痕跡も、ともに着目したいもの
です(だからといって 国民国家そのものを全否定するつもりはないですが)。
そのためのフレームワークづくりが歴史教育だと 私は考えています。

ところで...

第2次世界大戦において 日本という国家が敗北したことは現実です。
そして、日本国が敗北したことによって、かつての日本国の行動により抑圧・隠蔽
されてきたことがらが露出しつづけてきています(それまでの同胞の一部を切り捨
ててしまうという、戦後の日本国政府の行動による部分もあるでしょうが)−従軍
慰安婦問題はその一部にすぎません−。

にもかかわらず、それらを無視して、日本国のかつての行動をすべて正当化しよう
とすることは、かつての日本国の行動を直視することを避けるということでしかあ
りません。それでは過去を“伝統”として蓄積・継承することもないのではないで
しょうか。

 敗北したから日本国の行動が“悪”なのではありません。日本が敗戦国だからと
 いって、戦勝国のアメリカやイギリス・ソ連の行動が正当化されるわけでもなく、
 同じく戦勝国である中国のチベットや東トルキスタンなどに対する行動が正当化
 されるわけでもありません。

 (後略)

つかはら