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「鎖国」という言葉はいつから用いられたのか?

 江戸時代の日本が鎖国していたというのは,誰もが知っている常識でしょう。しかし,外国との門戸を閉ざしていたというのは真っ赤なウソです。それだけではありません。鎖国が完成したとされる3代将軍徳川家光のころ,「鎖国」という言葉はまだ存在していませんでした。
 1801年に志筑忠雄が『鎖国論』を著わして初めて,「鎖国」という言葉が生まれたのです。
 志筑忠雄は,長崎在住のオランダ通詞(通訳)で,病気を理由に務めを辞めた後,蘭書の研究に没頭し,『万国管窺』では日本で初めてコーヒーを紹介しています。そして,元禄年間に日本に滞在したドイツ人ケンペルの著作『日本誌』の中の付録の一章を訳出し,それに『鎖国論』というタイトルをつけました。ただ,ケンペルは「自国民の出国及び外国人の入国・交易を禁じている」などと表現しているにすぎず,「鎖国」は志筑忠雄の造語なのです。
 さて,『鎖国論』は出版されず,写本の形で流布しましたが,「鎖国」の言葉と概念がすぐに定着したわけではありません。
 たとえば,国学者平田篤胤がその著書のなかで『鎖国論』に言及していますが,西洋人が日本の優秀さを説いた書物として取り上げられているにすぎません。なにしろ,ケンペルは,日本が四方を海で囲まれていること,物産が豊富であること,日本人が勇猛であると同時に調和を重んじる資質をもっていることなどの理由から,「鎖国」を是認する議論を展開していたのです。
 また,幕府や大名など政策決定者のあいだで『鎖国論』が読まれ,政策決定の参考資料とされた形跡は,今のところないようです。結局のところ,ペリー来航以降,アメリカとの交渉という局面において,すなわち「開国」に対比される言葉として「鎖国」が用いられるようになっていくのです。
[2008.12.05登録]