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神仏習合がおこった背景

メールでの質問への応答です(2001.08.26)。
> 神仏習合ていう動きはなぜおきたのでしょうか?

2つほど考えられます。
1つは,仏教の,土着の神々を護法神として取り込んでしまう性格です。
これはインドですでに進展しており,梵天,帝釈天,阿修羅などはそうした形
で仏教のなかに取り込まれたインドの神々です。

2つめは,神々の信仰(神祇信仰)を媒介として維持されていた在地の共同体
秩序の動揺です。
もともと国造クラスの在地の豪族は,神々の信仰のもとで人民を共同体秩序の
もとに支配しており,律令国家のもとで個別的な支配力を奪われたあとでも実
質的な支配力を保持していました。ところが,律令税制から逃れる浮浪・逃亡
が増加し,さらに墾田永年私財法をきっかけに墾田開発をすすめて富を蓄積す
る富豪層が台頭する。その結果,それまでの在地豪族=郡司のもとでの共同体
秩序は大きく崩れ,生活を動揺・崩壊させていく人びとが増えてきます(共同
体とは相互扶助によって成り立つ)。そのことは宗教的には,既存の神々には
在地の共同体秩序を維持するだけの力が失ってしまったという事態を意味しま
す。
そうしたなかで,2つの違ったベクトルをもつ動きが出てきます。
1つは,神々の側から救いを求めて仏教に帰依する動きです。つまり,仏教を
活用することで神々のもとでの共同体秩序を再編・維持しようとする動きです
(国家レベルでのその典型的現象が聖武朝の仏教政策)。
もう1つは,“神々の怒り”です。生活を動揺・崩壊させた人びとの不満がそ
のような形をとって表現されてくるのです(怨霊はその一つの形態)。それに
対し,富豪層のように新たな在地社会の秩序を作り上げようとする人びと−−
つまりは神々の怒りの対象となった人びと−−の立場から,そうした神々を祀
り,その“怒り”をおさえるための技術として仏教が導入されていきます(国
家レベルでのその典型的現象が御霊会という形の神仏習合)。

とりあえず私は,こういう風に判断しています。
[2001.08.26]