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財閥解体について

メールでの質問への応答です(2000.9.6,一部手を加えてあります)。
<> > お聞きしたいのは戦後直後の財閥解体についてです。
>
> ・解体が指令された15財閥は、大ダメージだったのでしょうか?
> 持株会社整理委員会が財閥の持株を譲り受けて公売、持株の民主化を
> 行った。指定財閥の家族の財界追放を実施して人的支配を切断
> した、と用語集にありますが、大損害だったのでしょうか?
> ・その後の過度経済力集中排除法では結局11社のみの適用
> だったわけで、それから考えるに、上の15財閥はたいした
> ダメージを受けたようには思えないのですが。
> どうもこのへんの感覚があやふやでどうにもよくわからないのです。

もともと財閥は(1)同族支配,(2)多角経営を特色としていますが,三井合名(→三井本社),三菱合資(→三菱本社)などは,(1)傘下の企業の株式を独占的に所有し(それゆえに持株会社と称される),(2)財閥家族とその関係者が役員をつとめることで,財閥本社としての機能を果たしていました。
これに対し,戦後の持株会社の整理は,(1)持株会社の解体,(2)財閥家族の企業支配力の排除,(3)株式所有の分散化の3つを内容にしています。
ですから,“持株会社を媒介とした財閥家族による諸企業の同族支配”の形態としての財閥は,財閥解体によって解体されています。持株会社そのものは最近になるまで法的に禁止されていましたし,三井・岩崎・住友など指定の財閥家族による“同族支配”も存続しませんでしたから,そうした意味では財閥は大きなダメージをうけたと言えます。
つまり,視点としては,財閥を構成していた企業に注目するのではなく,それらの企業に対する支配のあり方に注目するのです。その視点からは財閥は解体され,戦前経済と戦後経済との間には断絶を見ることができるのです。

もちろん,財閥を構成していた企業に注目すれば,過度経済力集中排除法で指定され,実際に分割された会社はきわめて少ないわけだし,さらに高度経済成長のなかで旧来の財閥の復活とも思える企業集団が形成されてくるのですから,財閥解体によるダメージはさほど大きくなかったとも言えるでしょう。
しかし,かつて同じ財閥を構成していた企業どうしが同じ企業集団に集まったとは限らず,企業グループの再編成が行われています(たとえば昭和電工など森コンツェルン傘下の有力企業は富士銀行を中心とする芙蓉グループに加わっていますが,富士銀行は旧安田銀行−安田財閥−です)。そのことを考えれば,財閥に代表される戦前の企業形態がそのまま戦後に継承されたわけではないことがわかると思います。
[2000.09.06]