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年度 2017年

設問番号 第3問


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【解答例】
1経済白書。経済企画庁。
2朝鮮戦争が勃発し,日本占領にあたっていたアメリカ軍が国連軍として朝鮮半島へ出動したのにともない,アメリカ軍は日本で繊維製品を含む軍需品を調達し,武器やトラックなどの修理を行った。この朝鮮特需によって日本経済は特需景気が生じ,工業生産が戦前水準を上回った。
3傾斜生産方式は第1次吉田内閣が採用し,片山・芦田内閣が継続した経済復興策で,基幹産業部門である石炭・鉄鋼などに資金と資材を集中的に投下する政策である。
4幣原内閣は金融緊急措置令を出し,預金封鎖と新円切換えによって貨幣流通量の抑制をはかろうとした。
5敗戦後しばらく,国民の多くは中学校まで就学するのが一般的で、高等学校や大学への進学率は低かった。ところが高度経済成長にともない、国民の所得水準が上昇するなどして中流意識が広がると、教育熱が高まって高等学校への進学が一般化し、大学への進学率も上昇して高等教育が大衆化した。
(総計400字)


【解法の手がかり】
問2
 朝鮮戦争を説明したうえで,朝鮮戦争がなぜ/どのように日本に特需を生み出したのかを説明すればよい。
問3と問4は省略

問5
 問われているのは,高度経済成長期に高等学校や大学において起きた変化。「1960年代に入り高度経済成長が本格化した」と書かれているので,1960年代以降に焦点を合わせて考えればよい。
 変化が問われているのだから,1950年代までと1960年代以降とを対比しながら説明したい。
 占領期の教育改革によって中学校までの9年間が義務教育とされて以降,1950年は男子の2人に1人,女子の3人に2人が中学校を終えて働きはじめ,1955年でも男女合わせて2人に1人が中卒で働いていた( 吉川洋『高度成長』中公文庫)。ところが,1970年に高等学校進学率は82.1%に達し,大学・短期大学進学率も24.2%となった(山川『詳説日本史B』)。高度経済成長にともなって高等学校への進学は当たり前となり,大学への進学率も上昇した。このように後期中等教育や高等教育の大衆化が進んでいたことを説明できればよい。