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年度 2017年

設問番号 第3問


 1956(昭和31)年に出された次の資料を読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問5まですべてで400字以内)

 ⒜戦後日本経済の回復の速やかさには誠に万人の意表外にでるものがあつた。それは日本国民の勤勉な努力によつて培われ,世界情勢の好都合な発展によつて育まれた。しかし敗戦によつて落ち込んだ谷が深かつたという事実そのものが,⒝その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。(中略)なるほど,貧乏な日本のこと故,世界の他の国々に比べれば,消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが,⒞戦後の一時期に比べれば,その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異つた事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終つた。今後の成長は近代化によつて支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によつて初めて可能となるのである。

問1 資料はどのような文書のなかのものか。この文書の名称とどの省庁から出されたかを示しなさい。
問2 下線部⒜に関連して,1951年には工業生産において戦前水準(1934年から36年の平均)を超えることになった。この時期に日本経済が急速に回復した背景について説明しなさい。
問3 下線部⒝に関連して,日本政府も経済復興させる政策を実施した。その一つに傾斜生産方式の採用があるが,その内容について説明しなさい。
問4 下線部⒞に関連して,敗戦直後から深刻な物不足が生じ猛烈なインフレーションが発生した。これに対処するために1946年2月に幣原内閣がとった政策は何か。
問5 この文書が示されたのち,1960年代に入り高度経済成長が本格化した。高度経済成長期に高等学校や大学において起きた変化について説明しなさい。


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