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年度 2023年

設問番号 第1問


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【解答例】
1海保青陵。
2朱子学は礼儀による秩序を重視し,徳による統治を求めたのに対し,荻生徂徠はそれを批判し,現実の諸問題を解決する方策を示す経世論の基礎を作った。
3公事方御定書。裁判や刑罰の基準を定めた法典である。
4幕府や諸藩は村々が納める年貢を主な財政基盤としており,年貢は米で納められることが多かった。諸藩は,参勤交代などの経費をまかなうため貨幣収入を必要としたため,江戸や大坂に蔵屋敷を設けて年貢米を廻送し,蔵元を通じて販売・換金していた。掛屋はその販売代金の出納にあたった。一方,将軍の直参である旗本・御家人の多くは江戸に居住し,幕府から禄米の支給を受けていた。札差は,こうした旗本・御家人が支給される禄米の受取りや換金にたずさわった。
5村田清風が長州藩の藩政改革をにない,財政再建にあたった。越荷方を設け,下関に寄港する廻船に対して金融や積み荷の保管・委託販売などにあたって利益をあげた。
(総計395字)


【解法の手がかり】

問1
『経済話』という著作からでは解答は出ない。問5をヒントに,藩政改革を行った人物が影響を受けたということを手がかりとし,「儒学者・経世家」という説明から判断するしかない。経世論を説いた学者で藩に関わる議論を展開したのは太宰春台か海保青陵。どちらが正解なのかを絞り切る根拠はなく,教科書レベルでは対応できない。海保青陵が正解だが,無回答でよい。

問2
問われているのは,経世論を説明すること。条件として,朱子学および荻生徂徠の学問と関係づけることが求められている。 経世論がどういうものか,そして荻生徂徠の学問との関係は,教科書レベルでも解答できる。
山川『詳説日本史B』
「荻生徂徠は政治・経済にも関心を示し,都市の膨張をおさえ,武士の土着が必要であると説いて,統治の具体策を説く経世論に道を開いた。」
実教『日本史B』
「徂徠は柳沢吉保・将軍吉宗に用いられて幕政にもかかわり,現実の諸問題を解決する方策を示す経世家としても重きをなした」
これらからわかることは次の2点。
◦経世論=統治の具体策を説く(現実の諸問題を解決する方策を示す)
◦荻生徂徠=経世論に道を開いた
ところが,朱子学が経世論(統治の具体策を説く/現実の諸問題を解決する方策を示す議論)とどのように関係づくのかは難しい。とはいえ,考える手がかりはある。朱子学と政治(武士による統治)との関係を考えることである。
4代徳川家綱以降,儒学をもとに徳をもって治めることを政治理念とする,あるいは礼儀による秩序を重視する,文治主義的傾向が強まったことは知っているはずで,5代綱吉のもとで大学頭に任じられた林鳳岡(信篤)や6代家宣の侍講であった新井白石などが朱子学者であったことも知っているはず。
この知識を念頭におけば,朱子学は具体的な政策よりも武士の為政者としての徳,あるいは礼儀による秩序を重視していたと考えられる。史料でも「上にては,民が孝・悌・忠・信になりたらば法に背くまい,とかく民の孝・悌・忠・信になる様にと思ふこと也」とあるのは,徳治についてふれた箇所である。
それに対して荻生徂徠は朱子学(や陽明学)を批判し,孔子・孟子の原典に立ち戻って儒学を考えることを説いた古学派のひとり。そして個々人の道徳的な修養と政治・社会を安定させるための方策とを区別し,政治・経済に関わる政策を論じる経世論に道を開いた。

問3
まず「当時」を確定したい。問1で確認したように『経済話』の筆者は太宰春台か海保青陵なので,18世紀前半以降だと判断できる。その時期に「幕府の刑事司法で用いられていた法」とくれば,公事方御定書を思い浮かべることができる。裁判・刑罰や行政の基準を定めたものである。

問4 
掛屋は,江戸や大坂に設けられた諸藩の蔵屋敷で年貢米などの蔵物を販売・換金した代金の出納に携わった業者。
札差は,江戸に居住する旗本・御家人が幕府から支給された俸禄(禄米)の受取り・換金に携わった業者。
問われているのは,これらの説明だけだが,この小問で字数を確保することが必要。
そこで,なぜ掛屋や札差のような業者が登場・活躍したのか,その背景についても説明しておこう。具体的には,幕府や諸藩は村々が主に米で納める年貢を財政基盤としていたこと,江戸など都市での消費生活の経費を調達するために貨幣収入を必要としたこと,これらを背景とし,東廻り・西廻り海運の整備をきっかけとして,諸藩では江戸・大坂に蔵屋敷をおいて年貢米を販売したこと,将軍の直参である旗本・御家人は幕府から禄米を支給されていたこと,これらを説明すればよい。
一般に,用語の説明が問われた時は,いつ,どこで,誰が,何をしたのかを考え,それとともに背景・原因や影響・結果のどちらかにめくばりすればよい。

問5
長州藩の藩政改革を行った人物といえば,村田清風である。
彼が行った政策は,(紙・蝋の)専売制を改革すること,越荷方を設けて利益をあげること。
このうち,越荷方についてはもう少し説明できる。下関に諸国の廻船が寄港していたため,越荷方はそれらの廻船に対して金融や積み荷の保管・委託販売などにあたった。
なお,長州藩の藩政改革(専売制がらみ)については,2019年第1問で既出である。