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年度 2014年

設問番号 第1問


次の文章を読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問5まですべてで400字以内)

 応仁の乱に始まる争乱の時代のなかで,仏教は,武士・農民・商工業者などの信仰を得て,惣村や都市に広まっていった。さらに17世紀になると⒜すべての人がどこかの仏教寺院に属すことになり,先祖の供養を行いたいという人々の欲求に応えた。こうして,仏教は多くの人々の心の救済を説くものとなったのであるが,最初からそうであったわけではない。
 たとえば,7世紀後半から8世紀半ばにかけて,仏教は,災害・飢饉・疫病などの社会不安を背景に,⒝国家の安泰を願って導入されていった。
 10,11世紀になると,やはり災害・飢饉・疫病などの社会不安と  ⒞  を背景にして,⒟現世の不安から逃れ来世で救われたいという教えが大流行した。しかし,それは都の貴族を主たる対象としたものであり,一般の人々の心の救済を説くものではなかった。

問1 応仁の乱に始まる争乱の時代のなかで,浄土真宗が地方的展開をするが,その過程を説明しなさい。その際,布教の中心的な担い手(人名),布教の方法・組織をあげなさい。
問2 下線部⒜を何というか。また,これは,幕府による政策として強制されたという側面も持っているが,幕府の政策と,その背景を説明しなさい。
問3 下線部⒝のような思想をなんというか。また7世紀後半から8世紀にかけて仏教が受容されていく過程を説明しなさい。
問4 空欄⒞に入る適切な語句をあげなさい。下線部⒟の教えをなんというか。これを唱えた代表的論者とその著作をあげなさい。また,この教えは,建築や美術にも大きな影響を与えたが,代表的な建築・美術作品を一つあげなさい。
問5 10,11世紀の貴族の食事は,庶民のそれとは異なるものとなったと言われているが,どう異なるのかについて,簡単に説明しなさい。


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