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年度 2001年

設問番号 第1問

テーマ 律令税制とその変質/古代


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設問の要求は,(a)調の課税の方法と(b)調が徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方を,奈良時代と平安時代中期とで対比すること。
注意点は(b)の要求に答えることを忘れないことである。(1)(2)の史料の字面だけを追って答案を作成しようとすると,(b)に関するデータを書きもらしてしまう恐れがある。注意して欲しい。

まず最初に,律令税制と平安中期以降の税制を対比しておこう。
●律令税制
 戸籍・計帳による公民支配を基礎→成年男子が負担する調庸など人頭税が中心
 調庸は公民の運脚により都へ運ばれた
 ↓↑
●平安中期以降の税制
 受領に対して租税納入を請け負わせた
 人頭税から土地税への転換→名の広さを基準に官物・臨時雑役を賦課

このデータを念頭におきながら(1)(2)の史料の内容を把握していこう。
(1)−奈良時代−
問題文の説明のなかで,史料(1)に記されたデータが「調塩を課された者の本籍地と氏名,納めた塩の量,納めた日付」であることは明記されている。このうち,「本籍地」とは戸籍・計帳で登録されている住所であることはすぐにわかると思う。また,調を課された者の氏名が表記されていることから,律令税制のもとでは調が成年男子を対象に課された人頭税であったことも改めて確認できるだろう。
とはいえ,これだけでは「調が徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方」には答えていない。公民みずからが都まで運搬したこと(運脚)を補ってほしい。

(2)−平安時代中期−
調絹について「絹1疋を田地2町4段に対して割り当て」と課税の方法が明記されており,田地の広さを基準に課税されていることがわかる。
それ以外に述べられていることがらは,
「元命が先例を破って非常な重税を課していること」
「当国の美糸を責め取って私用の綾羅を織り,他国の粗糸を買い上げて政府への貢納に充てている」こと
の2点である。
史料(2)の最初のところで,糸(生糸)が調であったことが記述されており,そのことを念頭におけば,後者のデータを「調が徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方」の説明のなかで活用すればよいことがわかる(前者については必ずしも活用する必要はない)。国守藤原元命が「政府への貢納」を自ら調達している様子が描かれているが,それは,先に確認したように,平安時代中期以降,受領(現地に赴任する国司の最上席者)が租税納入を請け負うようになっていたことが背景にあった。そのため,受領は課税率をある程度自由に上下させることが可能で,非常な重税を課したり,他国から交易により調達したものを政府への貢納に充てたりすることができたのである。


(解答例)
奈良時代の調は、令の規定に基づき,戸籍・計帳による公民支配を基礎として成人男性に賦課された人頭税で、公民の運脚により中央政府に納入された。平安時代中期には,調は田地の広さを基準に賦課される土地税へと転換するとともに,受領が中央政府への納入を請け負い,税率や調達方法は受領にある程度の裁量が認められた。(150字)
【添削例】

≪最初の答案≫

奈良時代において,調は郷土の特産物を一定量都に納めるもので,農民の運脚によって都に運ばれた。しかし,平安時代中期になると,政府は国司に対する束縛を弱め,その結果,国司は調などの税率を引き上げるようになった。このように,奈良時代と平安時代では国司の介入が大きな違いとなっている。

『奈良時代,調は人頭税で運脚によって中央に納められた。平安中期には,調は土地にかかる税となった。また,重税を課す国司もあらわれた。』
このへんがポイントですよね?

設問で要求されていることがらをきちんと把握しておくことが,まず最初に必要 です。設問の要求は,“(1)調の課税の方法と(2)調が徴収されてから中央政府に 納入されるまでのあり方を,奈良時代と平安時代中期とで対比すること”です。 ところが君の答案だと,奈良時代の調について(2)は説明しているものの,(1)が 説明されていないし,さらに平安時代中期については(1)(2)ともに説明されてい ません。

ちなみに,「郷土の特産物を納める」というデータは説明する必要はありません。 なぜだかわかりますか?

また,
> 『奈良時代,調は人頭税で運脚によって中央に納められた。平安
> 中期には,調は土地にかかる税となった。また,重税を課す国司
> もあらわれた。』
>
> このへんがポイントですよね?
とありますが,これでもポイントがややズレています。
もちろん,奈良時代=人頭税,平安時代中期=土地税,という対比は間違っていないし,そのことを答案のなかで指摘することは不可欠です。
しかし,人頭税か土地税かというのは“租税としての性格”でしかありません。“課税の方法”が問われているのですから,“何が課税対象とされていたか”,“政府はどうやって課税対象を確保したのか”についてのデータを盛り込むことが不可欠です。
また,こちらでも平安時代中期の「(2)調が徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方」が欠落しています。
さらに,「重税を課す国司もあらわれた」ことは,この設問では問われていません。確かに資料(2)のなかで触れられていますが,課税の方法でもなく,徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方でもありません。答案に盛り込んでも構いませんが,それに焦点をあてた答案としてしまうと,設問の要求に応えていない答案になってしまいます。

というわけで,
 律令制のもとでの租税の課税・徴収方法,徴収されてから中央政府に納入されるまでのあり方(これは調庸のみに限定される)。
 平安時代中期に律令の原則に従った税制が解体してしまうが,その背景は何か?
 平安時代中期以降,租税の課税・徴収方法はどのように変化するのか,そして誰が徴税と中央政府への納入を責任もったのか。
こうしたデータを整理し直したうえで,答案をもう一度作り直して下さい。

≪書き直し≫

奈良時代の調は戸籍・計帳に基づいて,成年男子に課される人頭税で,都への納入は,農民の運脚によって行われた。しかし,農民の浮浪・逃亡などによって人身賦課が困難になったため,平安時代中期には,調は名を単位として課される土地税となり,各地方の国司が徴税し定額を納入する義務を負った。

ちなみに『農民の浮浪・逃亡などによって人身賦課が困難になったため,』は字数が足りなかったのであとから入れたものです。

OKです。

なお,
> 農民の浮浪・逃亡などによって人身賦課が困難になったため
の部分はなくても構わないのですが,奈良時代と平安時代中期の違いが生じるにいたった背景についての説明ですから,設問で特別問われているわけではないにせよ,書いておいて全く問題ありません。