過去問リストに戻る

年度 2023年

設問番号 第2問

テーマ 15世紀前半における家督継承決定のあり方の変化と応仁・文明の乱/中世


問題をみる

問われているのは,「その変化」と「乱」との関係。
「その変化」とは,「この時期」における「武士の家における家督継承決定のあり方」の「変化」。そして「乱」とは応仁・文明の乱で,その「発生と拡大」に注目したい。

応仁・文明の乱がどのようにして発生し,拡大したのかについては資料文にはデータがないので,あらかじめ確認しておく。
応仁・文明の乱の背景
◦畠山氏・斯波氏の家督争い
◦細川勝元と山名持豊の対立
◦将軍義政の後継をめぐる対立
これらの要因がからみあって乱が発生し,東西両幕府の成立という形へと発展・拡大した。

では,「この時期」における「武士の家における家督継承決定のあり方」の「変化」について。
変化が問われているので,時期による違いを想起する必要がある。
なお,「この時期」とは資料文に即す限り,将軍義教から将軍義政の頃である。

まずは「この時期」以前から確認するために資料文⑴からみていこう。
資料文⑴
「兄弟の父則平は,当初持平を後継者に指名したが,死去の直前あらためて凞平を指名していた」
→それ以前の時期においては家督の地位にある者(当主)の意思・指名により家督継承が決定していたと推論できる。鎌倉時代のあり方を想定すればよい。
なお,資料文⑶に「惣領」との表現が出てくるので,「家督の地位にある者(当主)」を惣領と表現してもよい。
類題として1985年第2問があるので参照してほしい。

次に,この時期(将軍義教から将軍義政の頃)のあり方を資料文から整理したい。
資料文⑴
◦「まず一族・家臣の考えを尋ねるべし」……a
資料文⑵
◦将軍義教が家督継承を決定している……b
◦「以前から有力な候補と目されていた持有をしりぞけ」
 dを参照すれば,義郷を支持する家臣たちの存在を想起できる……c
資料文⑶
◦持国と将軍義教の対立を背景に「有力家臣たちが義教に願い出て,弟の持永を家督に擁立した」……d
◦義教謀殺後,「持国は軍勢を率いて持永を京都から追い落し,家督に復帰した」……e
 なお,持国が「軍勢」を率いていることに注目すれば,家臣たちのなかに持国を家督として支持するものも存在したことがわかる……f
資料文⑷
◦「義敏は家臣たちの支持を失い,1459年,家督をしりぞいた」……g

これらのデータから家督継承決定に影響力をもったのが誰かを整理したい。

まず,義教期。
a,d →一族・家臣の意向
b,d →将軍の意向
c,d →家臣(有力家臣)と将軍の意向が一致すると家督継承は安定して行われる
これらから,義教期には将軍や一族・家臣の意向によって決定されるようになっており,両者が一致すれば家督継承は安定性を確保できた,と判断できる。
ところが,
d,f →家督をめぐる争いのなかで(潜在的に)家内部の対立・抗争が進んでいたことが推論できる

続いて,義教謀殺(嘉吉の変)後。
e  →実力で家督を獲得
g  →有力家臣の実力(家臣たちの支持)が家督継承を左右
将軍権力が後退した状況下では実力(軍事力)によって家督継承が決まったことがわかる。

この実力をおぎなうものが(将軍権力を支える)有力な大名の合力(支持・協力)であり,家内部で家督を争う両派が有力な大名と結びつくなか,諸大名が東西両軍に分かれて戦う応仁・文明の乱が発生する。そして,それぞれの家督継承を安定させる(有利にする)べく,東西両軍が将軍(将軍に準じる存在)を擁して東西二つの幕府が成立する。


(解答例)
家督継承には,当主の意思より一族・家臣の意向が尊重され,そのうえで将軍の判断が重視されていた。そのため,有力家臣の発言力が増大して家内部に対立を招き,嘉吉の変で将軍権力が後退すると,実力で家督継承を決める動きが広がった。家督を争う両派が幕府の有力者と結んだことから乱が生じ,東西二つの幕府が成立した。(150字)
(別解)家督継承は当主の指名ではなくなり,一族・家臣と将軍の意向で決定された。そのため有力家臣の発言力が増大したうえ,将軍の介入が家内部に内紛を招き,嘉吉の変によって将軍権力が後退すると,実力で家督継承を決める動きが広がった。こうしたなか,家督を争う両派が幕府の実力者と結んで乱を発生させ,幕府を分裂させた。