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年度 2023年

設問番号 第4問

テーマ 1950年代の対外関係と政党間対立の変化/現代


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問われているのは,占領終結から岸内閣期にかけての日本の対外関係の変化。条件としては,国際政治の動向に留意することが求められている。
資料文⑵~⑷が内閣ごとの説明となっているので,吉田内閣期,鳩山内閣期,岸内閣期ごとに資料文に書き込まれたデータに即してを考え,適宜,不足を補えばよい。

占領終結=吉田内閣期
◦国際政治:朝鮮戦争の勃発=冷戦の激化
◦サンフランシスコ平和条約=単独講和,日米安全保障条約の締結<資料文⑵>

◦国際政治:朝鮮戦争の休戦=東西対立を緩和する動き(平和共存)へ
◦アメリカから再軍備要求が強まる
 →自衛隊の創設

鳩山内閣期
◦国際政治:東西対立を緩和する動き(平和共存)へ
◦日ソ共同宣言=ソ連と国交回復:資料文⑶
 →国際連合への加盟が実現

岸内閣期
◦国際政治:第三勢力が台頭,ベトナムでは南北分断のもとで内戦が続く
◦日米安全保障条約の改定=日米関係の対等化へ:資料文⑷

これをふまえて対外関係の「変化」を表現したい。ただし3行(90字)なので,きわめてコンパクトにまとめる必要がある。
変化(時期による違い)の一つめとしては,
◦吉田内閣期=西側との単独講和(ソ連を含まない)→鳩山内閣期=ソ連との国交回復
もう一つが
◦吉田内閣期=日米安保条約→岸内閣期=日米新安保条約
こちらを「対外関係」に即してどのように表現するのか。日米新安保条約が「日米関係の対等化(対等な日米関係)」をめざしたとされる点に注目すれば,日米旧安保条約は「対米従属」と表現することができるだろう。
この2点に焦点を絞りたい。

最後に,条件の「国際政治の動向」であるが,字数が短いため,しっかり説明することはできない。
そこで,さきほど確認した「対外関係の変化」の構図を考えると,吉田内閣期→鳩山・岸内閣期と構成して問題ないと判断できる。したがって,冷戦の激化→平和共存という形でコンパクトに変化を表現しておけばよい。


問われているのは,1950年代後半から岸内閣期において政党間対立はどのように変化したか。条件として,内閣の施策に留意することが求められている。
始期が「1950年代後半」なので鳩山内閣期から岸内閣期を対象として「政党間対立」を考えるとよい。その際,対立を与党・野党,そして保守・革新という2パターンの分類で考えたい。

資料文⑶:1955年から1956年
<与党・野党という分類>
◦与党=日本民主党(185名)
◦野党=左右両社会党(計156名)と自由党(112名)など
<保守・革新という分類>
◦保守=日本民主党と自由党(計297名→63.6%)
◦革新=左右両社会党(計156名→33.4%)など
なお,左右両社会党は講和問題をめぐって分裂しており,一方,保守勢力は吉田派と反吉田派とで対立・分裂していた。吉田派と反吉田派の対立については,資料文⑵の「吉田首相は……与野党議員の多くに対して事前に知らせずに,突如,衆議院の解散を断行した」という表現から判断したい。

資料文⑷:1958年
<与党・野党という分類>
◦与党=自由民主党(287名→61.5%)
◦野党=日本社会党(166名→35.5%)など
<保守・革新という分類>
◦保守=自由民主党
◦革新=日本社会党など

ここで,資料文⑶と⑷を対比して「変化」を確認したい。
第一に,革新勢力の社会党が統一され,保守勢力が合同している点である。つまり,五五年体制が形成されたことである。
ところで,五五年体制とは保守一党優位のもとでの保革対立の政治体制であり,社会党が三分の一の議席を占めて改憲発議を阻止していた。このことは,資料文⑴(日本国憲法での改正発議の規定)と資料文⑶・⑷の「選挙結果における各党の当選者数」からも確認できる。
資料文⑴
◦改憲の発議は「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で」国会が行う
資料文⑶・⑷
◦革新勢力が三分の一の議席を確保
第二に,保守勢力の合同に関連するが,保守政党どうしの対立が解消されたことである。このことにより,政党間の対立が保守対革新という保革対立の構造をとるようになった。

では,次に保革対立の争点となった「内閣の施策」を考えよう。
鳩山内閣
◦憲法改正・再軍備を政策目標として掲げたことに注目したいが,資料文⑴との関連からすれば,憲法改正を最低限,指摘できればよい。
岸内閣
◦資料文⑷に「新しい日米安全保障条約が発効した日に退陣を表明」とあるので,安保条約の改定が指摘できればよい。


(解答例)
A吉田内閣期,冷戦が激化するなか,対米従属の形で西側陣営に組み込まれた。米ソの平和共存が進むと,鳩山内閣期にソ連との国交回復,国連加盟が実現し,岸内閣期に日米関係の対等化が進んだ。(90字)
(別解)吉田内閣期,冷戦激化のなか,西側との単独講和により対米従属の形で占領が終結した。米ソの平和共存が進むと,鳩山内閣期にソ連と国交回復が実現し,岸内閣期に日米関係の対等化が進んだ。(89字)
B鳩山内閣期,当初保守・革新とも分裂していたが,社会党が統一して改憲発議を阻止したのに対し,保守合同で自由民主党が成立した。この保革対立は,岸内閣期,安保条約改定をめぐり激化した。(90字)
(別解)両派社会党が鳩山内閣の掲げる改憲発議を阻止したうえで統一を果たすと,分裂していた保守政党が合同して保革対立の政治構造が形成され,岸内閣では安保改定をめぐって保革対立が先鋭化した。(90字)