年度 2000年
設問番号 第1問
次の史料を読んで,下記の問いに答えよ。(史料は一部,省略したり書き改めたりしまところもある)。
(A) 百姓町人大勢徒党して,強訴濫放することは,昔は治平の世には,をさをさうけ給はり及ばぬこと也。近世になりても,先年はいと稀なる事なりしに,近年は年々所々にこれ有て,めづらしからぬ事になれり。(中略)いづれも困窮にせまりて,せん方なきよりおこるとはいへども,詮ずる所上を恐れざるより起れり,下民の上をおそれざるは,乱の本にて,甚容易ならざる事にて,まづ第一その領主の恥辱,これに過たるはなし。(中略)抑此事の起るを考ふるに,いづれも下の非はなくして,皆上の非なるより起れり。(『秘本玉くしげ』)
(B) 何事によらず,よろしからざる事に百姓大勢申し合せ候をととうととなへ,ととうして,しゐてねがひ事くはだつるをごうそといひ,あるひは申しあはせ,村方たちのき候をてうさんと申,前々より御法度に候条,右類の儀これあらば,居むら他村にかぎらず,早々其筋の役所え申し出べし。御ほうびとして,
ととうの訴人 銀百枚
ごうその訴人 同断
てうさんの訴人 同断 (下略) (高札,『御触書集成』より)
問1 (A)は,ある人物が御三家の一つ紀伊藩主に提出した意見書の一部である。これを執筆したのは誰か。またこの人物の学問・思想の特質を述べよ。
問2 下線部のできごとは,現在,百姓一揆と呼ばれているが,一揆は中世にはより広いかたちで存在していた。中世の一揆と近世のそれとはどう関連しているのであろうか。中世と近世の一揆の異同と両者の関連を説明せよ。
問3 (A)が執筆された年に老中になった人物は,その著書のなかで「一揆徒党の騒動も」「皆上のせしむる道理」と述べて,(A)と同様の危機感を持って政治改革を行った。この人物は誰か。またこの人物が行った農政について,その内容を説明せよ。