年度 2018年
設問番号 第1問
次の文章を読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問3まですべてで400字以内)
18世紀以降の百姓たち,とりわけ戸主やその跡継ぎの男子は,自分が所属する家と村に対して非常に強い帰属意識を抱いていた。百姓家の所有する耕地は,ときの戸主の個人財産ではなく,先祖から受け継いだ家の財産(家産)であり,戸主や家族が勝手に処分することはできず,しっかり維持して子孫に伝えるべきものとされた。また,村の入会地や農業用水路の共同利用や,百姓家同士の相互扶助などさまざまな面で,村人同士の結びつきは強かった。
そうした家と村を守るため,百姓たちはときには領主に対しても自己主張した。自己主張の形態にはさまざまあり,17世紀には百姓が個々に他村へ逃亡するといった消極的抵抗や村々の代表による訴願が多くみられたが,17世紀末以降になると,村々の百姓たちが団結して,大勢で領主に要求実現を強く迫る ⒜ の形態が増加した。
⒜ は処罰の対象とされたが,他方で合法的な訴願もさかんになされ,19世紀には畿内で広域の村々の連合による訴願運動である ⒝ が起こった。
また,村の内部でも,⒞年貢や諸負担の賦課方法などをめぐって,村役人・豪農と一般村民との間で村方騒動が発生した。
問1 ⒜ に入る語句は何か。また,他村への逃亡や代表による訴願から ⒜ へと百姓の抵抗形態が変化した背景には,百姓側にどのような変化があったのか,説明しなさい。
問2 ⒝ の名称を記し,その内容・特徴について説明しなさい。
問3 下線部⒞に関して,年貢をめぐる要求が,領主に対してだけではなく,村役人にも向けられたのはなぜか,説明しなさい。また,年貢や諸負担の賦課方法以外の村方騒動の主要な争点を2つあげて説明しなさい。