年度 2020年
設問番号 第2問
次の史料は,随筆『みみずのたはごと』の一節である(一部を省略のうえ,表記を改めている)。これを読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)
七月三十一日。
鬱陶〔うっとう〕しく,物悲しい日。
新聞は皆黒縁〔くろぶち〕だ。不図〔ふと〕新聞の一面に「睦仁」の二字を見つけた。下に「先帝御手跡」とある。孝明天皇の御筆かと思うたのは一瞬時,陛下は已〔すでに〕に先帝とならせられたのであった。新帝陛下の御践祚〔せんそ〕*があった。⒜明治と云う年号は,昨日限り「大正」と改められる,と云う事である。
⒝陛下が崩御〔ほうぎょ〕になれば年号も更〔かわ〕る。其〔そ〕れを知らぬではないが,余〔よ〕は明治と云う年号は永久につづくものであるかの様に感じて居た。余は明治元年十月の生れである。即ち⒞明治天皇陛下が即位式を挙げ玉うた年,初めて京都から東京に行幸あった其月,東京を西南に距〔さ〕る三百里,薩摩に近い肥後葦北〔あしきた〕の水俣と云う村に生れたのである。余は明治の齢〔よわい〕を吾〔わが〕齢と思い馴れ,明治と同年だと誇りもし,恥じもして居た。
陛下の崩御は明治史の巻を閉じた。⒟明治が大正となって,余は吾生涯が中断されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
*践祚...皇位を継承すること
問1 この随筆に先だって『国民新聞』に連載してベストセラーとなった小説『不如帰』などで知られる,この随筆の作者の氏名をあげなさい。
問2 下線部⒜⒝に関して,直接の根拠になった当時の「皇室典範」には「明治元年ノ定制ニ従フ」とある。ここで「明治元年ノ定制」とされた制度の名称をあげ,その内容を説明しなさい。
問3 下線部⒞に関して,明治天皇への践祚と「即位式」とのあいだには,1年以上の隔たりがあり,この間に天皇の政治的な位置づけは大きく変化した。この変化について,当時の政治的な動向をふまえながら説明しなさい。
問4 この随筆の作者が下線部⒟のように感じた背景には,さまざまな機会に天皇の存在が人びとの意識のなかに浸透していったことがあると考えられる。この点に関して,明治なかば以降の出来事がどのような影響を及ぼしたと考えられるか,下記の語句をすべて用いて説明しなさい。
教育に関する勅語 大日本帝国憲法 日清戦争 戊申詔書